『キラーパスの秘密』

■執筆者 平野 暁臣
■執筆日時 2005年12月1日
 

『キラーパスの秘密』

 スタンドを熱狂させるワールドクラスの一流選手は、人並みはずれた能力を持っている。筋力や体力だけではない。“見る力”や“認識する力”がズバ抜けて優れているらしい。新聞に面白い記事が載っていた。
 たとえばイチロー。彼の“見る力”は尋常ではないそうだ。動く対象物を正確に追う「動体視力」、移動する複数の対象に素早く視線を移す「眼球運動」、対象の状況を瞬時に把握する「瞬間視」など、スポーツ選手に必要な視覚機能をパーフェクトに兼ね備えているらしい。
 なかでも際立っているのは瞬間視能力で、八ケタの数字を0.1秒だけ見せるというテストで、彼はなんと七ケタまで正確に答えられたそうだ。そういえば、子どもだったイチローが走るクルマのナンバープレートを瞬時に読み取り、4ケタの数字を頭の中で足し算するトレーニングを続けていたという話は有名だ。
 投手の手からボールが離れた後に、球種やコースを打者が読み取る時間はわずかに0.2秒しかないというが、イチローが優れた打率をキープできるのは、常人にはない動体視力が大きくものを言っているということだった。

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 日本が誇るサッカーの中田英寿もまた、並外れた才能の持ち主だ。98年、筑波大学の研究で能力検査を受けた彼は、そのとき立ちあった研究者を仰天させたそうだ。
 赤と白の積み木を見本通りに組み立てる「積み木模様」という課題で、中田の成績はパーフェクトだった。しかもまったく迷うことなく、いとも簡単に組み上げていった。このほかにも、複雑なパズルを組み立てる図形問題で中田は極めて高い得点をあげた。
 積み木の断片を見た瞬間に、彼には完成形のイメージが頭に浮かぶらしい。中田のキラーパスの原動力はこの能力だ。
 彼は、フィールド内を動き回る数多くの敵味方を見て配置と形勢を瞬時に認識し、それが次にどう動くのかを即座に予測できる。実際、試合中に一瞬視線を走らせただけで、数秒後の状況が頭に浮かぶらしい。彼が並みの選手には真似の出来ない決定的なキラーパスを出せるのはこのためだ。
 目の前の状況を瞬時につかみとる「動体視力」と、そこで得た断片的な情報をひとつの図形に統合する「空間認知力」、そしてその図形が次にどう動くのかを的確に判断して素早く動く「運動学習能力」。
 中田が武器にしているのは鍛えられた肉体だけでなく、高性能な視覚と優れた頭脳なのである。

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 この話を読んで、イベントの制作現場のことが頭に浮かんだ。
 いうまでもないが、イベントの制作はいつも順調に進むとは限らない。いや本当のことをいえば、大小さまざまなトラブルに見舞われることを覚悟しておいた方がいい。
 原因にはいろいろあって、状況の変化や政治的な要因など降ってわいたようなものも少なくないけれど、多くはやはりつくり手のミスコントロールによるものだ。
 イベントをつくっていると、部分をうまく統御できずにそこかしこに綻びをつくったり、逆に部分にとらわれるあまり全体を見失ったりすることがよく起こる。全体としては正しいのにディテールが上手くつくれずに失敗するケースや、部分やディテールは素晴らしいのに全体像がしっかりと組み立てられずに失敗するケースがその典型だ。
 この二つは、起きている現象としてはまったく逆なのだが、その原因は実は共通している。いずれも進行中のプロジェクトの状況をつくり手自身が正しく掴めていないことから起こるものだ。
 プロジェクトの状況は常に動いている。部分が動くから全体も動く。サッカーのフィールドで起きていることと同じだ。そこで求められるのは、スタジアムの天井カメラで見るように全体を俯瞰して状況を瞬時につかみ取ること、さらに断片的な情報を繋ぎあわせてひとつの全体像をイメージすること、そしてその全体像が次にどう動くのかを予測して素早く次の手を打つことに尽きる。まさにサッカーと同じなのである。

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 イベントクリエイターにとっても、一番大切な能力は動体視力と空間認知力なのだ。だからそれを高める努力をするしかない。イチローは中学三年まで毎日バッティングセンターで140キロの球を打っていた。中田だって厳しいトレーニングを重ねてきたはずだ。
 もちろん訓練だけで誰もが中田やイチローになれるわけではない。生まれ持った遺伝要因が大きいだろう。だが、脳の処理能力を鍛えれば、持てる素質を最大限に引き出すことができると記事の中で専門家が言っていた。
 もっともイベントクリエイターにとっての動体視力を鍛える客観的な方法論はまだ見つかっていない。だから一人ひとりが自分なりのやり方を見つけるしかない。
 キラーパスを出せるのは、それに成功した者だけだ。

(月刊『Event & Convention』 2005.6月号より転載)