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■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2003年2月1日
 
アーティスト(芸術家)とプロフェッショナル(専門家)。その狭間にいる職業の典型が建築の設計者だ。前者のステータスを手にした者は「建築家」と呼ばれ、後者の立場を保証する資格制度に「建築士」がある。
 社会的なイメージも、両者ではずいぶんと違う。国家が保証する高度な専門技術者をイメージさせる「建築士」に対して、「建築家」から連想するのは芸術性を優先するアーティスト的人格である。だから、小説やドラマのなかで栄光への階段を上ったり、破滅への道を突き進んだりするのはもっぱら「建築家」の方であって、「建築士」ではない。
 ぼくは建築家協会の会員でもある一級建築士なのだが、自分のことを建築家と名乗るのは未だに少しばかり抵抗がある。「私は芸術家のはしくれです」と宣言しているようで、なんとなく気後れしてしまうからだ。
   
 専業で建築物の設計を行う「建築家」が西欧社会に登場するのは思いのほか遅く、ルネサンス期のことだ。それまで建築を統括していたのは、石工の親方たちだった。
 17世紀になると、各国が競うように王立の建築や美術のアカデミーを設立し、歴史様式を根幹とする建築芸術を伝授するようになる。要するに、国家として建築家の養成をはじめたということなのだが、その運営スタイルは見習修業をベースとする徒弟制度であり、基本思想は、才能に恵まれた少数のエリートを錬磨し、芸術家として選抜・育成することだった。
 しかし、近代社会へと時代が移ると、建築生産に対する社会の要請がそれまでとは一変する。孤高の芸術家がコツコツと「作品」をつくっているだけでは、急速に膨れ上がる建設需要についていけないからだ。当然ながら、建築家の育成システムも変化の波に晒されることになる。
 実際、19世紀になると、資格取得の予備校のような建築学校がつくられるし、かの有名な「バウハウス」でも、それまでの徒弟修業スタイルから一転して理論的で体系的な教育が行われた。
 近代社会が必要としたのは、少数の天才的芸術家ではなく、安定的に技術を供給できるプロフェッショナルたちだった。時代が求めていたのは、知識と技術を保証された多くの専門技術者であり、技術を社会的に認知する資格制度であり、そうした技術者を安定的に送り出す教育訓練体制だったのである。
  
 日本のイベント界に近代化をもたらしたのは、1970年の「大阪万博」である。このときを境に、専門化・分業化した職能を束ね、システムとしてイベントをつくるようになった。大阪万博は、イベントにかかわる様々な専門職能を生み出し、その人材を育て、制作マネジメントのシステムをつくった。
 つまり、このときからイベントは「産業」になった。この30年の間にマーケットを急成長させることができたのは、大阪万博という前代未聞の巨大プロジェクトを通して、こうした下地が準備されていたからにほかならない。
 しかしその一方で、「イベントのプロ」の供給は、質的にも量の面でも需要に追いつくことができなかった。近代的な人材育成のシステムを生み出せなかったからだ。
 ズバっと言い切ってしまえば、イベントは近代化したけれど、人材育成のスタイルは未だに前近代のままだ。例外を除いて、今のところ、イベンターになりたければ親方に弟子入りして見習い修業をするしかない。
 ゆえに『イベント業務管理者』の資格取得者は、一様に「試験勉強を通じてはじめてイベントを体系的に学ぶことができた」と言う。多くのイベンターにとって、はじめて出合う「体系教育」がこの資格教育なのだ。
 考えてみれば、イベントを理論的・体系的に学ぼうと思っても、現状ではそのための「場」も「機会」も「情報」も無いに等しい。第一、専門書すらほとんど出版されていない。
 業界を挙げて、この事態の改善に取り組むべきだ。お手軽な特効薬はない。イベントに携わる者の一人ひとりが、できることを地道に進めるほかない。
  
 ぼくは手始めに本を書くことにした。『イベント・プランニング・ハンドブック|?イベント計画実務の実際|?』(本誌を発行する日本実務出版から)と、『イベントの底力|?企業を変える、地域を変える|?』(日経BP社)の二冊である。
 『ハンドブック』の方は、イベント制作の標準業務を分野別にリスト化し、それらに対する基礎的な解説を加えたものである。「会場の選定」から「保険」まで、36の計画課題を採り上げている。イベント・プランニングの「実務マニュアル」であり、制作準備の「チェックリスト」となるはずだ。
 一方の『イベントの底力』は、JEDIS副会長の真木勝次氏との対談集である。「イベントのつくり手」の視点で様々な問題について語り合った。イベントのプロフェッショナルとしての二人の発想と経験が詰め込まれている。
 いずれもこれまでにはなかった本だと思う。ご笑覧いただければ幸いである。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2002.7月号より転載)