「何物か?」を求めて
■執筆者 酒井 基喜
■執筆日時 2003年1月15日
そもそも「自分って何物?」という問い掛けからすべては始まったんだろうと今にして思う。この資格を持ってないと淘汰されてしまうのではないか?とか、はたまた資格を取得してイベント業界のために何かしなければならない、などという崇高な考えがあった訳では全くなかった。
自社では一切直接生産する機能は持たず、協力関係にある会社を必要に応じてコーディネイトし管理さえしていれば仕事はいくらでもある、という夢のようなバブルの時代が崩壊、今までの価値観が刷新され変化していく中「そういえば、自分って何?どんな職能があって、その対価を得ていたのだろう?」という疑問が湧いてきた。そんなときこの資格に出会った。
やってきた仕事がイベント業である、なんていう認識はなく今でも生業は施工屋であることに変わりはないし物を創ることがやっぱり好きではあるのだがイベント業務という全てを包含するようなその言葉に惹かれ取得のために教科書を読み進めていくと自分の経験が具体的に体系化されていくようなある種の充足感を覚えた。そして資格取得。しかし、気象予報士であればテレビに出て天気予報をすることが出来るが、さてイベント業務管理者は何が出来るんだろう?とまた「何物?」に戻ってしまった。
そんな折、このイベント業務管理者の会(旧名)の調査研究委員会へ参加した。しかしいざ入ってみると、この資格を生かすために調査研究する、といっても何処から手をつけていいのか検討もつかない。資格取得のため勉強したはずだったイベント産業の歴史すらもまだ曖昧であった。そこで最初の2回は田中洋研究リーダーによるイベント業がイベント産業として旧通産省に認知されるまでの経緯を学習する勉強会を行い、当委員会参加者の認識統一を計り、その後1回の委員会を経て当委員会で探るべき“イベント業務管理者の職能とは?”というテーマを得た。
私はこの3回の会議で既に自分の見識のなさを自覚し、世の中の出来事に疎くなっている亊を痛感した。ここが私にとって「何物?」の答えの最初の解答「井の中の蛙」であった。愕然とした、「勉強せねば。」と思った。
そんな戸惑いの中スタートした当委員会だが、ひとつ特徴的なことは参加者に地方会員が多いということで中央(東京)の理論で議論展開をするのではなく地方の立場も取り入れた議論をしようようという意図から地方で委員会を開催したことであろう。4回目の委員会を名古屋で開催したのを皮切りに、2回に1回は地方開催という形で、大阪、福岡、札幌、松山、金沢そして郡山を廻り各地域におけるイベント業界の現状と問題点を抽出してきた。
各委員とも時間もお金も限られた中での行脚のため十分な議論に発展せず結局何かを結論付ける成果には至らなかったものの、仰せつかった議論の記録という成果が3冊の小冊子「実態調査レポート」として残った。今読み返してみると会議の最中には何処へ収束するのか見当もつかなかった議論の中、I.S.O.という国際標準化基準の話、N.P.O.法人の存在意義、地域活性化法案への取り組み、そしてデジタル化とライブは表裏の関係として共存共栄し、だからこそこれからはイベントの時代である。など、これらは何かを決定付けるのではなく問題提起で止まっているのだが、案外、「今」を言い当てているのではないかと思う。
そんな3年間、結局結論付けられたものは何もなく、かろうじて“イベント業務の標準化”というもう一方のテーマからイベントにおける「契約書式」と「見積り項目」を提案させていただいた。今後これを何らかの下地にご活用いただけたら幸いと思う。
先日とある展示ホールのロケハンに行った時、ホール貸し出しの若い担当者が私の名刺を見て「あっ、この資格持ってるんですねー。」と興味を示した。聞くと、1次試験を通ったところで体を壊し療養のため受験出来なかったが、「ホール貸しという立場ではあってもイベントを生業とする者としての誇りを持ちたいし、その証が欲しい。」のだという。彼もまた「何物?」を求めているんだろうと思う。そして「勉強して必ず取りますから、その時は僕も参加させて下さい。」と言ってくれた。嬉しかった。「よし!がんばろう!」とも思った。
このような若い世代の指針になるためにも今や「何物か?」を探すのではなく、資格者が努力して自らが思う何物かに成らなければならない。と思い始めた。
◆プロフィール
1957年札幌市生まれ。
東京電機大学理工学部建設工学科卒業後㈱廣目屋入社、見本市、展示会イベントにおけるディスプレイ施工ディレクション業務に携り、当時神宮外苑で行われた全国菓子博覧会、県別団体舘のディスプレイ施工業務を経験、1986年㈱テンの設立発起人に参加した後同取締役就任。東京節句人形大見本市、ビルメンヒューマンフェアなど数々の施工ディレクターを長年に渡り手掛ける。同資格取得後はJEDISの調査研究委員会の活動に参加、記録係として全国行脚に同行し、現在はJEDISの理事として研究交流委員会に参加し活動中。