「日本人の壁」を越えたコミュニケーション

■執筆者 勝 憲司
■執筆日時 2002年12月15日
 
皆さんは「日本人の壁」を実感したことがありますか? 「日本人の壁」というと大げさですが、ここで言う「日本人の壁」とは外国人との大事なミーティングの時に自分の意思を相手にうまく伝えられなかったときに感じる「言葉の壁」のことです。
 イベント業界も国境の枠を越え、欧米やアジアの外国人の方々と仕事を実施する機会が最近特に増えてきました。私も1996年間から5年間に渡ってアメリカの自動車会社を担当し、モーターショーなどの展示会などはクライアント、協力会社とも欧米の外国人だったことがありました。
 いままでも外資系のクライアントは担当していましたが、必ず誰かが日本語を話せることができ、「言葉の壁」を感じる瞬間はありませんでした。しかしこのときは、私以外すべて外国人といったミーティングが頻繁に行われ、「言葉の壁」を越えたコミュニケーションをとることが私に課せられた大きな課題となりました。
     
 私たちの言葉である日本語の文化の特徴は、集団の和と調和を保ち、個人が集団より突出しないことが重要であると考えられています。これは、各人が場面ルールを遵守し、自分に与えられた立場をわきまえて行動することが求められ、個人が話す内容より、話し方の形式がより重んじられることを意味します。
 その結果として日本語には「尊敬語」や「謙譲語」といった話す相手によって言葉を使い分ける言葉が存在し、常に相手にとって失礼のない会話を心がけることを学校教育で教わってきました。さらにこの考え方を英会話にも適用しており、私どもは英語を使うとき、言葉の中身よりもその会話の場面に見合った、相手に失礼にならない適切な会話を行うためのマニュアルを無意識のうちに探していると思われます。
 「最近の日本人は自己主張をはっきりするようになってきた」といわれていますが、外国人とのコミュニケーションといった場面では相変わらずその傾向が強く、普段よく話す人が、外国人の前だと急に無口になるといった場面によく遭遇するのは、このことが原因だと推測されます。
    
 私も類に漏れず典型的な日本人でありましたので、1996年当初はそのミーティングが非常に苦手で、ただニコニコと笑っているしかない状況でした。そして、うまくコミュニケートできない理由を自分の語彙力の無さに求め、大量のボキャブラリーの習得に多大な時間を注ぐようになりました。豊富な語威力さえあれば自分のいいたい内容をより的確に英語で表現できるようになり、外国人とのコミュニケーションのトラブルや誤解も解消すると考えたわけです。
 しかし新しく習得したボキャブラリーを実際の会話で使用しようとすればするほど、頭が混乱してしまい、ほとんど発言できなくなってしまいました。そんな時、困った私を見てクライアントが「外国人と話すときは、話し方の形式を重んじるより、相手の目を見て何でもいいから発言することのほうが大切。」と助けてくれ、さらに「困ったら{have+単語}でほとんど通じる」とアドバイスをしてくれました。その言葉をきっかけにプレッシャーから解かれ、それ以来、中学2年生程度の会話力ながら外国人と社交的な会話を楽しむことができるようになりました。
 後から外国人に聞くと、多くの日本人は体裁を気にして何も話さないから、逆にどうしていいかわからずにいつも困っていたとのことでした。
 これからは外国人とのコミュニケーションが、非日常ではなく日常となってくると思われますが、相手の目を見てまずは発言することを心がけさまざまなシーンを乗り越えてゆきたいと思っています。

◆プロフィール
1966年生まれ。
中央大学法学部卒業。中央宣興株式会社を経て1993年第一企画株式会社入社、その後合併により株式会社アサツーディケイとなり、現在に至る。イベント・プロモーションのプロデューサーとして自動車・化粧品業界を中心に幅広く業務に携わる。