「物語」を取り戻せ

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2002年12月1日
 
東京オリンピックが開かれたとき、僕は5歳だった。だからあの時の興奮をリアルタイムで知っている。東洋の魔女も、アベベも、チャスラフスカも、ハッキリと覚えている。当時のことは他には何も覚えていないから、やはりオリンピックには特別なインパクトがあったのだろう。
 なかでも僕の心をとらえたのは聖火だった。「はるばるギリシャから海を越えて渡ってくるのよ」と母は言ったが、子ども騙しのウソだと思っていた。いくらなんでもそれはあり得ないと思った。
 だが本当に、聖火を載せたYS-11が日の丸を掲げて大地に降り立った。そのシーンをテレビで見たとき、文字通り全身が固まった。そしてこのときから、僕にとってオリンピックは単なる「スポーツ競技大会」から「聖なる祭典」になった。
 海を越える炎、古代ギリシャ、マラトンの戦い………、冒険心をくすぐるフレーズを満載した物語と、目の前のオリンピックとが、一本の線でしっかりと繋がったからだ。
 だから、僕にとってのクライマックスは、女子バレーの優勝でもアベベの金メダルでもなく、開会式で聖火台に火が灯るシーンだった。
   
 イベントにとって一番大切なもの、おそらくそれは「物語」だ。イベントは物語を獲得したときもっとも威力を発揮する。物語とは非日常のことだから、物語がイベントという非日常の出来事を補強するのは当然のことだ。
 実際、どんな祭りにも神話や伝説がある。伝承された祭式や祭具の一つひとつが意味をもつ。乱暴にいえば、祭りとは物語を追体験することだ。日常から神話や伝説の中に没入することで、非日常性を獲得する。現実から切り離されるから、階級や立場を超えてそのときだけに許される特別な価値観を共有することができるのだ。
 ゆえにストーリーをもたない祭りには求心力がない。単に踊るだけなら盆踊りと同じだし、昔の衣裳を着て歩くだけなら仮装行列にすぎない。どんなに凝った舞台装置をつくっても、それだけでは非日常は生まれない。聖火だって、ギリシャからはるばる運ばれてくるからドラマティックなのであって、いくら聖火台が立派でも、その場になってライターで点けたのでは話にならない。
 物語が説得力をもつには大抵時間がかかる。歴史に耐えたストーリーはそれだけで強く、出来立ての物語は脆弱だ。だから、イベントを創作するとき物語をセットで用意しても、たいがいは上手くいかない。もちろん、聞いている方が赤面するような、いかにも”企画会議でひねり出しました”的な「企画案としての物語」にはおよそ力がない。ミエミエで嘘臭い。イベントに物語性を与えるのは、ことほどさように難しいのである。
  
 一昨年、淡路島で「淡路花博(ジャパンフローラ2000)」が開かれた。延べ700万人の入場者を迎え、成功を収めたといわれる国際園芸博覧会である。
 会場となったのは関空埋め立て用の土砂採掘場跡。荒涼とした荒れ地を美しく再生したのが”売り”だった。閉幕後に国営公園となる大規模な公園も、安藤忠雄氏設計による『淡路夢舞台』という名の複合建築群も、ともに素晴らしい景観を現出させていた。
 会場の一番奥の広大な斜面には『百段苑』と名付けられた巨大な碁盤目状の花壇があるのだが、ここまで来ると、誰もが「緑の再生」というコンセプトを直観的に理解できる。なにしろハゲ山だったところが見事に緑の立体造形になっているのだ。見ごたえ十分。心憎い演出である。
 そしてなにより、ここに立つと”なんとなく”満足感が押し寄せてくる。いままでの博覧会にはない感覚だ。この不思議な充足感は何なのか、と考えていたら、はたと思い当たった。
 「開発を捨て、あえて保全の道を選んだ」「樹木を移植するのではなく、苗木を育てることからはじめた」「建築工事の着工より早く緑化を開始した」「主役は森であり自然であって、建物ではない」「やがて建物が緑に隠れて見えなくなることを願って設計した」………。安藤さんがテレビや雑誌で繰り返し発していたメッセージが脳裏に立ち上り、目の前の光景を見て「うん、うん」と納得するのである。だから来場者はみな、ここで満足そうな表情を浮かべるのだ。
 
 淡路花博は強力な物語を獲得していた。半ば伝説と化したこの物語を来場者は無意識のうちに会場に持ち込み、安藤さんの劇的な空間のなかでそれを追体験する。そこにあるのは”祭り”と同じ構造だ。
 安藤さんは空間に物語を与えた。彼は建築というハードと伝説というソフトをひっくるめてひとつの作品に仕上げた。そしてそれが花博を支えた。安藤さんの鮮やかな一本勝ちだ。
 だが我々は、この快挙を喜んでばかりはいられない。なぜなら「物語」を提出したのは建築家であって、イベントの側ではなかったからだ。
 イベンターは再び祭りの原点に立ち返り、イベントに物語を取り戻す努力をするべきだ……。Ando Worldに浸りながらそう思った。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2002.4月号より転載)