リアルとバーチャル

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2002年8月1日
 
ミックスド・リアリティ(Mixed Reality=MR)という技術分野の研究が急ピッチで進んでいる。MRはバーチャル・リアリティ(VR)の先にあるもので、VRの「仮想現実」に対して「複合現実」と訳されている。要するに、現実世界(Physical space)と仮想世界(Cyber space)とを融合させる技術のことだ。3月に横浜で開かれた技術フォーラムではじめて直に体験した。
 MRには2つのアプローチがある。ひとつは現実空間のなかにバーチャルの要素を組み入れるAR(Augmented Reality)技術であり、もうひとつは仮想空間の中に実物の情報を取り込むAV(Augmented Virtuality)技術である。 現在すでに、前者では、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着してバーチャルな円盤を打ち合う「バーチャル・エアホッケー」などが、後者では、仮想の室内空間に実際の家具調度のデータを取り込んでインテリアデザインの検証を行う「バーチャル・シミュレーション」などがデモンストレーションできる段階になっている。
 この2つの技術を併せてMRというが、いずれはどちらが現実でどちらがバーチャルか区別がつかなくなっていくだろう。SFの世界がいよいよ視界に入ってきた。
  
 以前から、映画の分野では現実とバーチャルの融合は行われてきた。いわゆる実写とCGの合成である。「ジュラシックパーク」「ターミネーターⅡ」あたりから格段に向上した合成技術は、「アポロ13」「スターウォーズ・エピソードⅠ」でさらに完成度を高めた。いまや実写とCGを見分けることはほとんど不可能だ。
 だが、映画の画像合成技術とMRとは似て非なるものだ。両者の本質的な違い、そしてMRの根幹をなすものは、同時性(Realtime)と双方向性(Interactivity)である。この2つの条件の有無が、フィクションに留まる映画と現実世界に強く働きかけるMRとの決定的な違いだ。
 Realtime?Interactiveとは、要するにテレビゲームの世界のことだと考えればいい。映画は見る者に反応することはないが、ゲームではこちらの意志に反応してリアルタイムで状況が変わる。パッケージ化された情報の送達ではなく、こちらも参加者となる。ゲームの魅力はそこにある。
 同じ構造を持っていても、ゲームは100%バーチャルであることが明白なので遊びと笑っていられるが、MRの土俵は現実世界だから、このまま進歩が進めば人間の感覚や認識を大きく変える可能性が高い。その源泉となるものが、同時性と双方向性なのである。
  
 MRが備えるこの性格は、「一回性」「ライブ性」「参加性」と言い換えることができる。これはほとんどイベントの特性そのものだ。唯一欠けているのは「空間性」「体感性」という空間感覚だが、これも時間の問題かもしれない。
 今はまだ、画質の面でも装着感の点でもHMDには大きな違和感があるが、いずれは飛躍的に改良が進み、装着していることを忘れるくらいになるだろう。そうなれば、仮想空間のなかで「一体感」や「空間共有感」がつくられる可能性もある。
 さらに、高速大容量通信網と組み合わされれば、完全な仮想空間のなかに自分自身が入り込み、家にいながらコンサート会場にいるのと同じ感覚を味わえる日が来るかもしれない。すなわち映画「トロン」の世界が現実になる、ということだ。
 仮想のコンサート会場では、隣のフィンランドの若者が拳を振り上げ、後ろではインドの女の子が踊りだす。彼らはもちろん実在の人物で、ネット上だけで空間を共有している。そして、…………。
 もちろんこれは空想だが、空想できることはいつかきっと現実になる。
  
 イベントの基本的な構成原理は「特定の時間と空間を共有する」ことにある。イベントは観客が自ら会場に足を運ぶことで成立する。だからイベントに出向くことを「参加」という。雑誌を買ったりテレビを見たりすることをイベントとはいわないし、参加ともいわない。
 だが、MR技術が進んでリアル空間とバーチャル空間に区別がなくなったとき、イベントは根底から存在意義を問い直されるだろう。「空間の共有」が意味をもたなくなれば、リアルイベントにも意味がなくなるからだ。
 でも僕は、実は楽観している。イベントにはバーチャル技術では絶対に手に入らない要素がひとつだけあるからだ。それは〝空気〟である。大勢の生身の人間が吐き出す熱気、汗や匂い………。イベント会場にはその時だけの空気がある。「気配」が流れる。それらは絶えず変化しながら見えない力で僕たちを揺さぶり続ける。
 最後に生き残るのは、きっと“体温が伝わるような”イベントに違いない。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2001.12月号より転載)