20世紀少年から21世紀少年へ

■執筆者 吾郷 晋
■執筆日時 2002年7月15日
 
●大阪万博の思い出
小学館「ビックコミック スピリッツ」誌に連載されている浦沢直樹氏著作「20世紀少年」で時折、主人公達の子供の頃のシーンが登場する。その中での大阪万博の話題が妙にリアルだった。「なんたって月の石だぞ。あれを見なきゃ万博に行った意味ないって」「アメリカ館の月着陸船は模型らしい。そこいくとソ連館のソユーズやボストークは、どうやら本物らしい」こんな会話を交わす少年たちの設定は1960年生まれで当時10歳。62年生まれの私と同世代だ。大阪万博は当時小学校2年生の私にとっても忘れることの出来ないイベントだった。田舎から夜行列車で大阪へ行き、朝7時には西口ゲートに並んだ。なぜ西口ゲートかと言うと事前に入手したガイドマップ上でアメリカ館が一番近かったからだ。「月の石を見ないと万博へ行く意味がない」まさしくそんな思いだった。開門と同時にアメリカ館に向かって必死に走った。みんなが走っていた。ようやくアメリカ館にたどり着くとすでに長蛇の列。その列の最後尾に向かってまた走った。列を作るための柵があり、その柵の入口はなんと中央口付近にあった。最初から中央口で並んでいれば・・・。そう思ったのもあとの祭りで、最後尾に到着した時にはすでに3時間以上の待ち時間となっていた。わずか1日しか見れない中で、ここだけで3時間以上も費やすわけにもいかず、結局「月の石」を断念せざるを得なかった。万博に来た当初の目的が達成できないことが開場30分にして決定してしまい、その時は大きく落胆した。しかし、会場を後にする頃にはそんなことはすっ飛んでいた。三菱未来館の火山の映像、カナダ館の鏡のステージ、青い瞳のアテンダント、そして屋根を突き破った太陽の塔、見るもの全てが驚きだった。これからの世の中は何かすごいことになりそうだ、なんて期待に胸を膨らませた。

●30年後
 それから30年後、自ら地方博覧会の催事ディレクターの経験を経て、再びハノーバーの国際博覧会の会場に立った。そこには、無数のベッドが設置されたリラクゼーションスペースや謎のオーバル型ロボット、ただ革製ソファーに寝っころがるだけのパビリオンなど目を引くものは全て癒し系の演出が施された大人の博覧会が展開されていた。「癒し」は大人が自分たちのために作り上げた概念で、子供たちには退屈だ。事実、来場者の中に子供たちをあまり見かけなかった。

●21世紀少年たちへ
 世界中の情報が家庭で入手できるネット社会において、国際博覧会の意義は薄れつつある。意義があるとすれば、それは次世代へのメッセージ性を強く持つことだと思う。大阪万博で私たちは先人たちの強烈なメッセージを受け取った。あの時、描かれた「未来」がいろいろな形で「現在」に存在している。愛知万博を目前にし、次は、私たちが21世紀少年たちへメッセージを送る番だ。では、彼らは「癒し」を求めているのか?たぶん答えはNOだ。なぜなら、彼らは、バラードを歌うよりもコブシを突き上げて歌う元気印の「モー娘。」の方が大好きなのだから。20世紀の人間同士で「癒し」を共有するのは、そろそろ終わりにしよう。21世紀を担う少年たちへ元気なメッセージを送るためには、私たち自身が元気でなくてはならない。