時間のシンクロ

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2004年11月1日
 
 毎日「会議」ばかりやっている。IT技術がいくら進んでも、こればかりは一向に減る気配がない。ぼく自身、ちょっとした打ち合わせまで含めれば、仕事の過半はこれに費やされていると言っていい。
 ブロードバンド時代になっても会議が減らないのは、いうまでもないが、膝をつき合わせて話し合うことの意味と役割が依然として失われていないからである。
 相手の表情や反応を直に確かめながら話ができるし、その場の“空気”を読みながら議論を展開できる。大事な決断をするときにはとても重要なことだ。なにより、相手とのやりとりに触発されて、自分の頭の中を整理したり発想を広げたりするチャンスになる。
 だから、面と向かった会議はとても大切であり、会議の効率はそのまま仕事の効率に直結する。しかし、わかってはいても、必ずしもすべてがうまくいくわけではない。それどころか、会議の大半は時間の空費に終わる。延々と書類を読み上げるだけの会議や、堂々巡りを繰り返したあげくに結論を先送りする会議などがその典型である。

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 知人でもある慶應義塾大学教授の奥出直人氏は近著『会議力』(平凡社新書)のなかで、会議の本質とは“付加価値を生み出すこと”だと説いている。
 彼は、会議の目的はコラボレーションにあるという。メンバー全員がAという情報を正確に共有すること=「コミュニケーション」が会議の目的だと思われがちだが、そうではない。議論を通じて新たにBという情報を生み出すこと=「コラボレーション」こそが本来の目的であって、情報共有はそのための手段に過ぎない、というのだ。
 奥出氏は、コラボレーションを「複数の人間が共同で新しい着想を得たり、創造的に仕事を成し遂げたりすること」と定義する。けっして選ばれた人にだけ訪れる特別なシチュエーションの話ではない。彼の言うコラボレーションとは、「仲間と楽しく雑談しながら食事をしているとき、ふとアイデアが頭に浮かんでナプキンに書き留める」といったような、誰にも経験のある状況のことだ。これこそがクリエイティブの源になる。
 そして彼は、コラボレーションが起きる条件を『時間のシンクロ』という概念で説明する。時間がシンクロするとはすなわち、ある話題について夢中でしゃべっているときの二人の状態のことである。新しいアイデアが生まれるのは、往々にしてリラックスした会話に熱中しているときなのだ。
 参加者が時間シンクロしている状況をつくり出せれば、会議は単なる情報共有に向けたコミュニケーションの場から、付加価値を生み出すコラボレーションの場になる。
 人の話を聞いているだけでは、決してコラボレーションは起こらない。コミュニケーション、つまり情報の伝達ばかりに血道を上げても付加価値は生まれないのである。

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 イベントもまったく同じではないか・・・。まるでイベントの指南書に出合ったような気がした。
 考えるまでもなく、イベントの多くは「送り手」から「受け手」に情報を“伝える”ために開かれる。見本市・展示会はもとより、企業の行うSPイベントだって大半がそうだ。
 その際には、受け手に対してできるだけ多くの情報を正確にインプットしたいと考えるから、我々イベンターはいつも、情報を魅力的に表現する手法に悩み、効率的に送り届ける方法を探している。要するに「参加者全員がAという情報を正確に共有する」ための手立てを日夜考えているのである。
 しかし、つくり手サイドの期待に反して、情報伝達型のイベントの多くはいま厳しい戦いを強いられている。もとよりそれは、デジタルメディアの幾何級数的な発展による情報環境の激変の影響である。だが、果たしてそれだけか? こういった状況にあってなお、いまだに多くが一方的に“演説”することしか考えていないからではないのか?

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 もちろん、コミュニケーション・メディアである以上、イベントが「情報共有」を目指すのは当然であって、それ自体は間違っていない。問題なのは、イベンターの発想がそこで止まってしまっていることだ。
 情報環境が変われば、当然ながらイベントのポジションも動く。情報をただ機械的に垂れ流すだけのイベントはもはや退場するしかないのだ。これから生き残るのは、知的で創造的な情報再生産の場としての役割を果たすイベントだけだろう。
 イベントにとって情報共有は目的ではなくなる。目指されるのはコラボレーションだ。そしてそのときキーになるのは、まさしく『時間のシンクロ』という概念なのである。 
 「コミュニケーション」から「コラボレーション」へ。イベントはいま、大きな転換点を迎えているのかもしれない。

(月刊『Event & Convention』2004.5月号より転載)