プリウスの思想
■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2002年9月1日
若いころ、僕はアンチ・トヨタ派だった。多くのクルマ好きがそうだったようにマーケティングを駆使して売れる商品を巧みにつくる優等生のトヨタより、アタリハズレはあるもののいかにも頑固な職人がつくっていそうな「技術の日産」の愚直さの 方が好きだった。むろんこんなイメージは現実とは何の関係もなかったが、当時は何となくそんな空気がマニアの間には漂っていた。だから、大学に入って最初にしたことは、しばらくの間授業にも行かずにバイトに明け暮れ、念願のフェアレディZを手に入れることだった。だが数年前にトヨタがリリースした驚くべきクルマを見て、僕のトヨタに対する認 識は文字通り一変した。 「売れるクルマしかつくらない」「クルマ社会のあり方などに興味はない」メーカーだとばかり思っていたが、そのクルマは明らかに違っていた。「売れるか売れないか」という価値観とはまったく別の使命を感じさせた。1997年10月に登場した世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」である。
ハイブリッド車とは、ガソリンエンジンと電気モーターを併用した複合動力システムをもつクルマをいう。1台に2つの動力源を搭載していて、この2つを効率的に使 い分けることで驚異的な低燃費とクリーンな排ガスを実現する革新的なエコ・カーだ。
プリウスの発売は自動車業界に衝撃を与えた。ハイブリッド車の市販化は今世紀に入ってからと見られていたからだ。その後の各社の慌てぶりをみても、いかにショックが大きかったかがわかる。だが、僕が驚いたのは予想外に早い登場よりむしろ、その価格だった。同クラスのガソリン車とそう大差がない。装備するシステムを考えれば、とてもペイするとは思えない。少なくとも儲かるクルマではない。この事実こそが、このクルマの意味と役割を端的に表しているのだ、と思った。
プリウスに関する限り、おそらくトヨタは利益のことなどはじめから考えていない。 ここらで「環境にやさしい」イメージを売っておこう、などという単純な話でもないだろう。
市販に踏み切った真の狙いは、これまでのガソリンエンジンとはまったく違う新たな動力をユーザーに直に体験させることにある、と見るべきだ。すなわち、いずれ避けられない代替動力への移行に備えて、ハイブリットという過渡的なシステムをもって部分的にそれを実現し、その体験機会を提供することで、来るべき「次世代のクルマ」への経験をユーザーとメーカーがともに積むことが目指されているのだと思う。大仰にいえば、プリウスとは戦略的な実験環境であり、壮大なトレーニング機構なのである。
イベントもこれからは環境問題と無縁ではいられない。仮設と撤去を繰り返すイベントはこれまで環境にとってフレンドリーな存在とはいえなかっただけに、今後は社会の厳しい監視の目にさらされる可能性が高い。イベントは環境問題にどんな貢献ができるのか、と詰め寄られもするだろう。要するに、イベントも環境を直視することが避けられない時代になったということだ。
むろんいうまでもなく、すでに多くのイベントが環境問題に取り組んできた。資源や環境をテーマとする国際会議やシンポジウム、環境技術を扱った技術展や見本市、自然のなかでの体験学習など、いろいろなタイプのイベントが成果をあげている。これらのイベントが関連情報の集積と発信に寄与し、議論や交流の枠組みを提供してきたことは明らかだ。
つまりイベントは、環境問題にかかわる”メディア”としての役割をすでに十分果たしている。この面での貢献に、疑問の余地はない。
だがこれは、見方を変えれば、イベントが自ら環境保全に向けた取り組みを行ってみせているわけでも、そうした試みの体験機会を創出しているわけでもないということでもある。イベントがもたらしてきたものは「情報」であって「実践」ではなかった。
試行・体験・提案・習熟・体感・共有・対話……。プリウスが連想させるイメージ は、まさにイベントの形容詞として使われているものばかりだ。 新たなコンセプトを掲げ、それを実際に試行し、その体験機会を提供する。プリウスが体現してみせたこのプロセスこそ、イベントが本来最も得意とするプログラムの はずだ。
情報の中継から提案の試行へ。知識の伝達から体験の共有へ。言うは易しくて、これは難しい。
イベンターの腕が試されようとしている。
(月刊「EVENT & CONVENTION」2002.1月号より転載)