素顔の日本

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2002年6月1日

1988年から1998年の約10年の間に、海外で5つの国際博覧会が開かれた。’88国際レジャー博(オーストラリア)、’92セビリア万国博(スペイン)、’92ジェノバ国際博(イタリア)、’93大田国際博(韓国)、’98リスボン国際博(ポルトガル)、の5回である。 幸いなことに、僕は参加国サイドの当事者として、そのすべてを経験することができた。いずれも日本政府館のプロデュースと設計の仕事だった。 いうまでもないが、国際博覧会に対する政府出展のミッションは複雑だ。博覧会そのものの開催テーマを引き受けながら、そのなかに日本の立場や主張を織り込み、しかも地元来場者の期待に応えねばならない。必ずしもそれぞれのベクトルが同じ方向を向いているとは限らないから、文字通りナローパスを進むほかない。 それでも3本のベクトルがはっきりと見えていれば、束ね方もなんとか想像がつく。しかし実際は、開催テーマは解釈の仕方でいろいろな貌を見せ、出展の理念や方向に自明の解はなく、現地の期待も決してシンプルではない。 結局は錯綜したパズルとなって、計画者を混乱させる。3つの要件のうちどれが欠けても失敗だから、慎重に計画を組み立てていくのだが、やはり何か拠り所になるものが欲しくなる。「判断の基準をつくる立場」のようなものだ。 僕のそれは実に単純である。

 今から十数年前、はじめて海外に出張した。国際レジャー博への出展計画を立案するにあたり、基礎的なデータを収集するためだった。 会場の整備状況や現地の施工事情を調べるとともに、日本や日本人に対する認識やイメージを確認することも大きな目的としていたから、いくつかの都市を廻りながら多くのオーストラリア人と日本人に話を聞いた。その中の一人が話してくれたことが、僕にとってのある種の原体験となっている。 『オーストラリアでは、エレクトロニクスやカメラ、自動車などの優れた日本製品が身の回りに溢れている。よほど知性と自制心が高い民族でなければ、これだけ高度な技術レベルに到達するのは無理だ。 ところが、ゴールドコーストで目にする日本人は、団体バスでビーチに乗りつけ、革靴を履いたまま写真を撮りまくると10分で怒涛のように去っていく。リゾートでのそのような振舞いは“un-educated ”としか言いようがない。 つまり我々は、理解ができない。あのun-educatedな人々と高度な技術水準とが、頭の中で繋がらない。ゆえに、正直に言うと、日本人は“気味が悪い”』 オーストラリア人の一人はそう言った。愕然としたのは最後の一言だ。「嫌い」ならまだいい。自分の価値観に照らして評価してくれている。だが、「気味が悪い」には救いがない。 「気味が悪い」のは、「理解不能な異質な存在」と突き放しているからだ。この誤解を解くには、ありのままの日本人を見てもらうしかない。そうすれば、自分たちと基本的には何ら変わらないことがわかってもらえるはずだ。 このオーストラリアでの経験が、以後の僕のスタンスを決めることになった。できる限り《日本人の素顔》を伝える。 それは当時も今も全く変わっていない。

 誰だって人にはカッコいいところを見せたい。注目も浴びたいし一目置かれたい。海外で日本の広報を行うときだって、もちろん同じだ。 だから、往々にして、《自然と技術が共存する国=富士山をバックに新幹線が走る》、《先端技術を有する国=クリーンルームでの半導体生産》、《高い文化性を備える国民=静謐に包まれた茶会の緊張》といったステレオタイプに陥る。無意識のうちに、『技術力と精神性』『神秘的なエキゾチズム』など、日本の特殊性を強調するシナリオへと進んでしまう。 なにしろ、歴史ある日本文化の紹介をしよう、と決めさえすれば、バリエーション豊かな伝統文化・伝統芸能のメニューが山ほどあるのだ。楽になれる。並大抵のことではこの誘惑に打ち勝つことはできない。 だが、これだけに終われば、結果的に「気味が悪い」を加速させることになってしまうのだ。

 素顔の日本を伝えるうえで最も有効な手段、それは間違いなくイベントだ。何といっても、生身の人間同士の触れ合いが一番強く、正確だ。 国際交流に果たすイベントの役割がもっと認識されていい。そして我々イベンターには、ステレオタイプから離れた新しいイベントを提案する責任がある。 日本の高い技術力や洗練された伝統芸能は誰でも知っている。 その間を埋めるのだ。
(月刊「EVENT & CONVENTION」2001.10月号より転載)