開発途上国における見本市企画の難しさ

■執筆者 小山 正志
■執筆日時 2001年11月15日
 
私は、昭和61年に日本貿易振興会(ジェトロ)に入会して、今年で15年がたちました。この間、展示会、見本市関係の仕事に5年弱関わってきました。その間諸先輩から、「見本市、展示会」事業は、ある特定の目的(例えば輸出振興、輸入振興等)を達成するための「ツール」の一つであり、ある目的に合致する展示会に適切な出展企業、来場者を誘致することが、展示会事業の成功の定石であり、常に出展者、来場者から喜ばれるよう仕事に励めと教え込まれ、私自身もその通りであると考えてきました。
 しかし、展示会、見本市の仕事をしていると、必ずしもニーズに合わない展示会、見本市でも、企業を「説得」して出展してもらう必要に迫られ、苦しまなければならないこともあります。その例として、私が1997年10月から2000年11月まで在ウルグアイ日本国大使館に勤務した際に3回参加したプラド国際見本市をあげたいと思います。
 ちなみにウルグアイは、南米大陸の南方にある人口約316万人、国土面積は日本の半分程度の伝統的な農牧畜国家です。その国で最大かつ広報効果が非常に高いイベントが「プラド国際見本市」でした。この見本市は毎年8~9月ごろ約2週間にわたり開催される総合見本市ですが、メインは牧畜国家らしく牛、羊等の家畜の展示、品評会です。この品評会の出品家畜の多くは国産ですが、一部ブラジルやアルゼンティンからの出品もあります。家畜の出品者は、長年手塩にかけた家畜類を展示して、各種の賞を獲得する事を目指しており、そうした賞は、その生産者の評価や名声に大きく関わってきます。
 また50万人以上といわれる来場者の多くは、一般のビジネスマンよりむしろ家族連れ、農牧関係者というのが現状です。この見本市の「日本館」出展には、以下の3者が参加しました。
①日本ウルグアイ商工会議所:日本企業や日本企業の代理店に自動車、機械など工業製品等の「日本館」への出展を呼びかけて、館全体の企画、運営を行いました。当然のことながら出展日本企業の目的は、単なるPRよりも、商談、成約であり、昨今の厳しい日本経済の現状を反映して、その傾向はさらに強くなっています。
②在ウルグアイ日本国大使館:上記日本館内で、ミニ日本庭園の展示、盆栽の展示、例年7月~10月にかけて実施される日本文化月間の日本映画の上映会、生け花展等の行事の紹介、会期中に実施される「ジャパン・デー」の企画、各種日本に関する広報資料の配布を行いました。広く一般大衆を対象としました。
③ジェトロ・ブエノスアイレス事務所:日本館内にジェトロコーナーを設けて、日本とウルグアイの経済関係、日本のリサイクル・システムなどに係るパネルの展示、ハイテク玩具の展示実演などを実施しました。ビジネスマン、一般の双方を対象としました。
 上記3者の内、本見本市の性格に合っていた参加者を順番にすると、②③①となり、①は出展募集段階から非常に苦労しました。では②と③だけで参加すればよいではないかと言われるかもしれませんが、会場内に場所を確保し、「日本」というイメージを打ち出すには、企業出品を伴う「日本館」の出展は不可欠でした。そのため私も日本企業の出展勧誘に奔走しました。商談、成約を目的とする日本企業に、その見込みが低いと予想される見本市への出展勧誘をすることほど難しいことはありません。「大使館からの要請だから」という理由で企業が参加するということだけは避けたいと思いました。結局拝みこんだ企業が数社出てくれました。
 発展途上国でしかも日本とのビジネス関係の薄い国での展示会事業には出展勧誘等でこうした苦労があります。今後とも同見本市日本館の出展勧誘には苦労が伴うでしょうが、だからといって同見本市から「日本館」がなくなっては、日本大使館もジェトロも有効な対外広報手段を失うことになり、ただでさえ疎遠になりがちなウルグアイと日本の2国間関係がますます疎遠になってしまいます。難しい条件や数々の困難を乗り越えてでもイベントの開催にこぎつけることが、結局は相互理解の「礎」となるのだという信念をもって本件に取り組んだことは、私のイベント業務管理者としての貴重な「実績」になったと思います(本稿は個人の見解である)。