地域活性化とイベント

■執筆者 新藤健一郎
■執筆日時 2001年3月25日
 
私とイベントの出会い
 5000万円当たった! トトカルチョ(イタリアのサッカーくじ)で。残念ながら夢でした。いまでもハッキリ覚えています。1966年ペルージアの大学に留学して
いた時代、地元の友人に誘われてミラノへサッカーの観戦に行く前の日の夢でした。貧乏学生ですからサッカーくじを買うゆとりがあるはずないのですが、明日が楽しみで興奮していたのでしょう。学校のグランドでも小さな公園や路地等でボールを蹴る姿は毎日見ているのに、やはり公式試合は興奮しましたね。まず、スタジアムへ行く道中から驚きました。車のクラクションの洪水、車から身を乗り出してクラブの旗竿同士でチャンバラ、車という車に窓が見えなくなるほどクラブのステッカーが貼られ、ともかく祭の乗りです。凄いと思いましたね。私は群馬で生まれて日本を旅したことも無かったからカルチャーショックを受けました。
 当時の私は当然イベントの単語も知らず、単にサッカーを観戦する楽しみで出掛けましたがこれが私とイベントの出会いであり、今こうして日本イベント業務管理者協会に身を置いているのも、この時の興奮が潜在されていたのかも知れません。

私と地域の出会い
 私は日本に帰ってからグラフィックデザインの仕事をしておりました。ある時期、某県の知事選のマスコットキャラクターのデザインをキッカケに、地域イベントのマスコットキャラクターや地域特産品のパッケージ、地域CIのシンボルマークのデザイン等、地方自治体の仕事が増えてきました。 
 デザインの制作に入る手順として当然その地域の調査等を実施しますが、そこで気がついたことがありました。 このイベントに住民が何を期待しているのだろうか? 惰性でイベントが開催されているようだが? 行政の計画と住民の描いている町の有り方とがズレているようだが? 周辺地域の情報も得ないまま同じような特産品の開発をしていて競争に勝てるのだろうか? 気になりだしたら切りがないほど問題が見えてきたのです。
 これではデザインしても活きてこないのではないかと悩みました。ならば基の部分から自分で取り組んでみたらどうかと考えるようになり、デザインの仕事は弟子に任せ、赤羽先輩や仲間の協力を得て地域活性化をライフワークに見据えて進路変更しました。地域にドップリ浸かって15年、気がついてみたら地域活性化のコンサルティングを生業としていました。

「地域活性化とイベント」私はこう考えています
 「地域活性化」この単語が気楽に語られていますが、何をどうしたら地域を活性化できるのでしょうか。私の講演の一部を抜粋してみました。
 「地域活性化」とは、文字の如く地域を活力ある性能に化えること。何を化えるのか? それは地域の仕掛け仕組みを化えることです。「変える」ではなく「化える」です。例えば、百姓+八百屋=九百屋。百姓とは生産者、八百屋は小売業、九百屋は農産物直売所です。従来、農家は農協などに頼って販売してきましたが、今では農家が小売機能を身につけることにより、自ら(又は集団で)農産物直売所を開設して億単位の売上を上げているところは全国に数多くあります。直売所は消費者のニーズを知る場でもありますので、農家の方が直接消費者に接することにより、その志向にマッチした作付けが可能となり、転作農用地の活用へと結びついていきます。
 これは流通の仕組みを化えた例ですが、何より農家の意識を化えた意味が大きいと言えます。
 地域住民の意識を化えていく作業は大変に難しく時間を要しますが、地域住民のヤル気こそが地域活性化の資源です。
 地域活性化と同様によく使われる単語に「地域起こし」があります。私はあえて「興」ではなく「起」を使いますが、起こすとは己が走ると書きます。地域住民のヤル気起こしこそ、地域活性化の原点と考えています。
 地域活性化の手法は数多くあります。私の主な業務はグリーン・ツーリズム構想策定や、都市農村交流促進事業計画策定・実践指導、施設整備計画(ソフト・ハード)策定、特産品開発指導、地域イベント企画・実践指導、人材育成、講演、研修会など地域の活性化をテーマに年間150日位地方で仕事をしていますが、地域イベントは地域の課題解決の重要な手法のひとつとして積極的に取り組んでいます。最近の例をあげますと、北海道の標津町で3年がかりで創作した祭があります。3年がかりで創作したと書きましたが、これは住民が作り上げたもので、私は指導したのみです。約6,500人の住民の内、3,000人近くが創作準備に関わりました。この祭は観光対策でなく、町内の一体化を課題として住民が楽しむ「住民のための住民の祭」を標語として住民総参加型の祭を目指して、3ヶ年かけて準備してきたのです。
 最初に資源を洗い出し、農業と漁業と商工業の共通のテーマ(核となる資源の抽出)を決め、21世紀に通用する新たな伝説を創作し、伝説に基づいて歌、音曲、踊り、衣装、山車を創作し、伝説を劇化した「劇団キラリ」が中・高生主体に立ち上がり、この間に意見の対立や、結論が得られない会議、準備が遅れがちの人への協力や不満等さまざまな問題を処理しながら、住民の連帯感が醸成されてきました。さらに良かったことは、農業・漁業・商工業が団結でき、町に活気が出てきたことです。また、祭の当日には若者があふれ、踊りの中心となって、祭を引っ張っていきました。私は3年間通いましたが標津町にこれほど若者がいたのかと驚かされました。祭は大成功でした。祭の当日を待たずして準備段階で成功していたはずです。
 祭が終ったときには町長をはじめ、議員さん達も男泣きし、これでようやく町が一体となれたと祝いの酒を飲みながら、また泣きました。この瞬間こそコンサルタント冥利です。

 地域イベントの多くはマンネリ化し、低迷しています。マンネリ化とは、初期段階に設定した開催の目的が徐々に薄れ、いつの日かイベントを開催することが目的にすりかわり、魅力に欠ける内容と認識しつつも、なんとなく開催している状態を言います。
 地域活性化の手法のひとつに地域イベントの実例を挙げましたが、いずれにしても地域住民のヤル気が重要なキーとなります。もうひとつ重要なキーは、時代の変化への対応です。このキーを忘れては地域は活性化しません。標津町も古い盆踊り型の踊りを創作していたらこれほど若者も参加しなかったでしょう。