研究交流委員会平成17年度事業「愛・地球博」マンスリーレポート

2005年4月8日
■活動団体/活動参加者
(旧)研究交流委員会
前書き:酒井基喜 本文:吾郷 晋
■開催場所
 
 
 
□プロローグ□~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

いよいよ大阪万博から35年ぶりという「愛・地球博」が始まった。今世紀中にはもう日本で開催されることはないだろうと言われているだけに我々日本で生きている者にとってはかけがえのないイベントであろう。

我がJEDISではこのかけがえのないイベントに際し、日本で唯一のイベントの有資格者が全国規模で集い、組織するイベント職能集団として、当然のごとくこのビックプロジェクトには様々な形で参画しており、その職能を大いに発揮させている。そこで、その活躍を少しでも広く世間へ向けて発信するための好機と捉え、実際に準備から運営等々に携わっている有資格者にプロの目から月代わりでテーマを変えて、この「愛・地球博」をレポートしていただき、このホームページ上で公開する。

この度、この企画を進めるにあたり開催地である愛知県は、我がJEDISの中部地域本部管轄であるため、この地域の本部長を務められている(株)新東通信「愛・地球博」推進プロジェクト第1グループ課長の原田伸介氏へ毎月の人選から月別テーマの設定までを全面的にご協力をお願いした。開催前の超ご多忙な折、姜事務局長と私との訪問に、その貴重なお時間を頂戴し、この一方的な申し入れをご快諾いただいたことに対し、この場をお借りして深く感謝の意を表明したいと思う。

さて、その初回である今月は、やはり前述の原田中部地域本部長の取り計らいで実現した開幕前の内覧会「愛・地球博開幕前プレミアム見学会」へ3月20日(日)私と共に参加した前研究委員会委員長の吾郷 晋氏によるレポートで幕を開けることにする。

                     研究交流委員会 委員長 酒井基喜
□執筆者プロフィール□~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

吾郷 晋 ( あごう すすむ 登録番号940202 )

1962年島根県生まれ。’94年まつり博・三重、’96年炎の博覧会・佐賀にて催事
ディレクターを担当。’99年~’03年までフジテレビ主催、お台場夏イベントの美
術プロデュースを担当。’03年秋より地元・島根に戻り地域振興を目指して活動中。
株式会社エス・アイ・シー島根支社所属。JEDIS研究交流委員。

□本  文□・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

第一章 ノンフィクション

3月20日(日)一般公開日2日目。研究交流委員長の酒井氏とともに、午前9時半開場ということで、余裕をもったつもりで8時に栄駅を出発。地下鉄東山線の終点でリニモの乗り換え駅である藤が丘駅から今日の悲劇は始まった。リニモの乗車口には8時半の時点ですでに60分待ちの長蛇の列。6両編成の地下鉄の降車客のほとんどが3両のリニモを目指すわけだから無理もない。万博会場駅についたのが9時40分。なんとか10時には会場入りできると思ったが甘かった。手荷物検査に再び長蛇の列。ちなみにペットボトル、ビン、カン、お弁当等が持込禁止。お弁当はここで食べるか、捨てるかどちらかにしろと言われるらしい。おいおい、食べ物を粗末にすることはテーマには反しないのか?(後に手作り弁当は持込可に)で、手荷物検査だがカバンを上から覗くだけ。人は金属探知機のゲートを通るが、カバンは空港みたいなX線検査はなし。えっそんなんで大丈夫なの?これなら拳銃だって楽勝だな。さらに入場用ゲートを通り、ようやく入場できたのは10時半すぎ。ここまでの待ち時間トータル2時間。

とりあえず、テーマ館にあたるグローバルハウスを目指す。パビリオンは眼下に見えるのに整理券を待つ本日3本目の長蛇の列の最後尾は遥か彼方。なんか大阪万博のアメリカ館を思い出す。整理券を手にするまで30分。12時40分のチケットだがこれがさらなる悲劇を招く。

グローバルハウスを後にし、人気パビリオンのトヨタグループ館へ向かう。しかし整理券の配布はすでに終了。残念。その他の企業パビリオンも100分以上待ち。グローバルハウスの集合時間が足かせになって、時間のかかるパビリオンは見れない。結局、空いている外国館へ。この日、初めて入ったのがフランス館。ここの展示はテーマとがっぷり四つに組んでいる。キューブの中で映像を見たら思いっきり暗くなった。でもこれが真実だ。明るい外に出て、12時から整理券を配ってくれるパビリオン「夢みる山」へ。このパビリオンのテーマシアターは映画監督の押井守氏が総合演出しているので楽しみの一つ。わりとすんなりとゲットしたチケットは13時半のもの。グローバルハウスの後でちょうどいい、とその時は思った。

その後、30分でアジア諸国のパビリオンをぐるりとまわって、いよいよグローバルハウスへ。整理券さえあればこっちのモノと入って行くが、ここでまた問題発生。マンモスに至る経路が2つあって、もらった整理券では片方しか見れない。そんな説明は配る時点では何もない。結局、マンモスは見れるけどグローバルハウス全体の6割くらいしか見れない。全部見たければまた来なくてはならない。それなら、いっそマンモスが見れる方と見れない方に分けてくれたほうが見る側にはありがたい。何かしがらみがありそう。ブルーホールに入って待つこと30分!おいおい、整理券を持っているのに何で待たなきゃいけないの?他の客から野次が飛ぶ。ようやく始まったのがプレショー。本編はまだか?スポンサーのS社の技術の説明がダラダラ続くが誰も見ちゃいない。そもそもテーマ館にスポンサー色をこんなに出すのはいかがなものだろう。ここでさっきのしがらみの話だが、マンモスが見れる見れないに分けてしまうと、スポンサーメリットのバランスが悪くなってしまうのだろう。常に観客のことは後回し。テレビでおばさんが叫んでいた「この博覧会の愛はどこにあるの!」。で、世界初の技術による大型画面を間近で見せられるのだが、人間の視野の限界を超えている。素人がF1カーに乗るようなもので、人間が性能に追いつかないのだからあまり意味がない。映像の中身はフランス館のそれとは対照的にポジティブなものだった。

映像が終了していよいよマンモスラボへ。ここでまた待たされる。数百名が映像をみた後に、狭いラボに殺到するのだからこれは仕方ない。待つ間になにげなく映像が流れているのだが、アポロの宇宙飛行士がアポロ計画の意義と今後の月の開発について語っている。実はこれが一番テーマ性があって、かつ内容が面白かった。そして、マンモスの頭と足の一部だけを約1分間眺める。報道で伝えられているとおり、それ以上のものは何もない。グローバルハウスを出たのが13時50分。そう「夢みる山」の集合時間を過ぎている。実質20分程度のものを見るのに整理券を持っているにもかかわらず1時間以上もかかってしまっている。やられた。せめて終了予定時刻でも書いてあれば・・残念。

落胆しつつランチを取ることに。普通ならここで4本目の長蛇の列に加わるところだが、事務局長の姜氏の計らいで協会の食堂へ。会場内のスタッフたちが集う場所なので海外の方も多い。ある意味、一番EXPOらしい場所だった。15時すぎに昼食を終え、再び会場へ。

行列覚悟で日本ゾーンへ行くと、長久手日本館をはじめとする全てのパビリオンで本日終了のサイン。まあ、タダで来ているからしょうがないか。せめてあと1つくらいは見たいと会場内を彷徨うと、やっていましたカナダ館。しかし、カナダという国のEXPOにかける姿勢は素晴らしい。大阪万博での鏡のステージは子供ごころに記憶に残っているし、どの博覧会でもカナダ館は常に話題になる。今回はというと、まず入場を待つ客をパフォーマーが和ませてくれて○。中の展示は映像が中心だが演出が面白くて○。なにより、閉館まできっちりやってくれるのが◎。このホスピタリティこそが博覧会の成功のカギだと思う。散々な一日だったが最後がカナダ館だったことで、すこしは救われた。

閉館時間がせまり、帰りの混雑を避けるためにゴンドラで瀬戸会場へ。万博八草駅行きのシャトルバスを待つのにまた行列。聞けば駅まで1キロ程度。最後の力を振り絞って駅まで歩く。ちなみにこの間、シャトルバスに抜かれることはなかった。名古屋へ向かう電車の中で反省会を実施。見学できたパビリオン5~6。トータル待ち時間4時間30分。歩行距離計測不能。感動あまりなし。

第2章 博覧会は「造る」より「やる」方が絶対に面白い

プレミア見学会では、あまりパビリオンを見ることができなかったが、多くの報道から内容は伺い知ることができる。多くのパビリオンが世界初などと謳っているが、見る側にとって「想定の範囲内」という感は否めない。しかし、それは今の時代には仕方がない。ロボットや大型映像やゲームはすでに市場に出回っていて、たとえ、その性能が世界初の技術であっても、それを開発した努力はなかなか伝わらない。また、開発する側も博覧会のための開発ではなく、あくまで市場を睨んでの開発をしていることだろう。

昔、こんなことがあった。1994年開催のまつり博・三重に向けて色々なパビリオンの提案をしている頃、三重県といえば、松坂牛ということで、牛の排泄物からでるメタンガスをエネルギーに代えて、パビリオンの動力を賄おうという企画を立案した。実際にデンマークでは実用化されていて、それを研究している鹿児島大学の教授とかもいて、技術的なウラを取ったあと、牛の排泄物の供給先を求めて、松坂では最大のある牧場を訪ねた。その時の牧場長に「何故、2年後の博覧会まで待たなければならないのか?」「何故、日々何トンもの排泄物の処理に悩んでいる我々に、今、その技術を提案しないんだ?」と延々2時間も説教された。確かに技術は博覧会のためにあるのではなく、日々の生活のためにある。恥ずかしながら、その時の私はイベントのことしか考えていなかった。

技術が日進月歩する現代においては、博覧会は技術革新を発表する場ではもはやない。では、国際博覧会開催の意義はどこにあるのだろう。それは、120ヶ国もの人々が半年という長期間にわたって一同に揃うイベントであることだと思う。オリンピックはスポーツ競技者の祭典であり、観客は見るだけにすぎない。しかし、万博はあらゆる人々の祭典であり、スタッフも観客も参加できる。こんな機会はめったにない。35年前の大阪万博では、外国人を見ることが初めてで、写真を撮ったりサインをもらうだけで楽しかった。今日ではさすがに外国人をみても驚くことはなくなったが、これだけ情報化社会が進んでも、世界各国の人々の生活観や、あるいは思想観を知る機会は意外と少ない。生活の知恵もそうだ。例えば、ネット上で展開しているサイバー日本館の「ニッポンカン新聞」(これが結構ためになる)で紹介されている、気仙沼で牡蠣の養殖のために森を育てている話などは、フランスやスペインで古くから実施されていたことを、ある日本人が最近になって知り、実践を始めたという内容だ。「先人の知恵」ならぬ「隣人の知恵」である。

前出の牛の排泄物の話も酪農先進国のデンマークならではの知恵だ。愛・地球博のテーマ「自然の叡智」はそれを取り巻く人間たちが知恵を出し合うことだと思う。そのために必要なコミュニケーションの場が国際博覧会だ。コミュニケーションの結果、新しい知恵が生まれて初めてCOMMONが成立する。

2000年のハノーバー博では、いくつかあるテーマ館の一角にボランティアの学生が客と環境についてディベートするコーナーがあった。そこにいた女子学生に同行の前事務局長の藤原氏が果敢に挑んで行ったのを思い出した。ハノーバー博のテーマ館はメッセージ性が強かったが、そこに人間同士のコミュニケーションが加わればより理解が深まる。環境先進国ドイツでは若者までもが環境問題に対して真剣だった。

JEDISのメンバーで万博の開催期間中に現場に携わる人も多いことだろう。是非、多くの人々とコミュニケーションを取ってほしい。長期間に及ぶ現場の仕事は大変だと思うが、海外のスタッフや観客と積極的に交流して、今の日本を伝えるメッセンジャーとなってほしい。そして、海外の様々な知恵を吸収してほしい。前出のまつり博・三重は、地方博にしては国際交流の多い博覧会であったが、その現場にいた私は、世界中の人々と接する機会に恵まれた。10年たった今でも交流は続いている。それは私にとってかけがえのない財産になった。現代の国際博覧会の成功の可否は、観客動員数でも経済波及効果でもなく、どれだけのコミュニケーションが為され、どれだけの新しい知恵が(あるいは愛が)生まれるかだと思う。愛・地球博の成功を祈る。