『マイブーム気質が生み出す京都発 サブカルチャー』

■執筆者 関西地域本部 理事 平家 良美
■執筆日時 2008年5月27日
 
●日毎、夜毎に…。

 日本を代表する花街、京都・祇園。かつて室町の旦那衆が中心となり育てた花街は、今では英語、中国語、ハングル語などさまざまな言語が飛び交い、海外からの旅行者やビジネスマンで賑わう。そこから東大路を北に、車を走らせること10分。京都大学がある。その構内にある埃っぽい薄汚れた建物。1970年代、日本のアンダーグラウンドシーンの聖地とうたわれた京大西部講堂だ。先日ベルリン映画祭でネットパック賞(優れたアジア映画に贈られる)を受賞した若松孝二監督の作品を日本ではじめて上映したのはこの地。当日若者を中心に450人が集まり、関心の高さをうかがわせた。さらに、丸太町今出川通りへ。地下に入ると「メトロ」というクラブがある。5月には日本で唯一、ダライラマ14世の密着取材を許された在日コリアンの映画監督キム・スンヨン氏の作品『チベット・チベット』が2夜連続で上映された。

 一方、今年は源氏物語誕生千年を記念し、京都市内、周辺を含めたゆかりの神社仏閣・自治体・大学で講演会や催事が催されている。物語だけでなく、物語に関わる風俗をはじめ、多角的に源氏物語の世界が取り上げられている。京都観世会館では連日各流派の御家元が能を舞う。

 日毎、夜毎にサブカルも伝統文化・芸能も隔てなく、さまざまな催事が切れ目なく延々と執り行われている、それが京都という街の一つの特徴なのかもしれない。

●“マイブーム気質”が“サブカル”を生み、“伝統文化”を育てる。

 京都市の人口は147万人。京都府全体でも260万人。東京、大阪、横浜、福岡、名古屋と比べれば、それほど人口は多いわけではない。そんな街でありながら、1200年の都という特異な歴史の流れの中で、京都から多くの“文化”が生み出されてきた。 

 中世には、能や狂言が町衆にもてはやされた。念仏踊りが生まれたのもそのころだ。それらはやがて全国に伝播していった。時代は変わり現代においてもそれは続いている。1970年代のフォークブームやGSにおいても京都の若者の熱気が多くのミュージシャンを押し上げていった。1990年代に多くの神社仏閣で行われたライトアップも、同様に京都から全国に伝播していった一つの“文化”の形だ。

 もともと京都の人々は徒党を組むのが苦手といわれている。そのかわり、自分の好きなものに対してはとことん応援するという“旦那さん気質”がある。自分だけが探し出した「とっておきのかっこいいもの」を応援し育てるという気質だ。京都出身のイラストレーター みうらじゅん氏が唱えた「マイブーム気質」というものがもともと京都人には根強くある。自分の感性を信じて、拾い上げ育てていく。モノづくりやモノづくりの周辺で特にその本領は発揮され、だからこそ、新しいものが次々と生まれていくのだろう。

 生まれることが自信になり、常にそういうものにさらされているという意識と長い歴史がさらに京都人の気質に拍車をかける。他の地域の人にとっては、ある意味かたくななプライドの高い京都人の気質は滑稽にも不器用にも映るかもしれない。けれどそれはこの地の一つのアイデンティティーであるからどうしようもない。

 京都にはナショナルブランドでありながら、本社を東京に移さない企業がいくつもる。京セラ、任天堂、堀場製作所、村田製作所、ローム、オムロン…。世界的に評価されるパフォーマンス集団「ダムタイプ」も拠点を京都においている。その背景には、そんな京都のモノづくりの歴史と、そのような特有の気質かもしれない。

 地方が地方として独自に生きろと政府から言われる時代。ここにいる以上、滑稽に思われようとここのやり方でやり続けるしかない。これからどのようなものが生まれていくのか。どんな才能が出ていくのか。その一端を担うためにも、イベント、催事を繰り返し、繰り返し自らの感性を信じながら新しモノにアンテナを張り、行い続け精進すること大切だと思っている。