『縁あって』

■執筆者 中部地域本部 副本部長 内宮真一
■執筆日時 2008年2月25日
 
昭和34年4月 愛媛県西宇和郡(現西予市)生まれ 48歳

小学一年生の頃父親の仕事の関係で愛知県へ引越し、そのまま大学までを過ごしました。大学卒業後、食品会社に就職し営業を経験しています。その営業ルートの一部に大学時代にアルバイトをしていた現在の会社があり、ちょっと寄ってみた際に誘われ、そのまま転職話へ進んでいきます。と、こうまあイベント業界にいるみなさんの中にもいらっしゃるような就職をし、現在に至ります。

25年以上前の地方の小さな町のことですので『イベント』という言葉もなく、企業の運動会や球技大会、盆踊り大会などの企画、運営、会場設営までなんでもありの会社でした。しかも季節ごとに少しのイベントの仕事、残りは、スポーツ施設工事や地場産業の展示会のブース製作、イベント機材の製作をしていました。

社内には、先輩もなく創業者家族と自分のみでしたので、何でも自分で調べ、専門職の会社に教えを請い、共につくり上げていく作業の連続でした。貧乏暇なしでしたが、今思えば、縁あっていっしょに時間を過ごした大切な仲間ばかりです。そんな素敵な仲間たちが周りに増えていくのもイベントの醍醐味ではないでしょうか。

博覧会が地方の小さな町にもいくつかの変化をもたらします。1985年のつくば博以降、映像関連の仕事が増え始め、1988年のぎふ中部未来博、翌89年に開催された世界デザイン博と東海地方での地方博の開催が続き、町では盆踊り大会がサマーフェスティバルへ、運動会やお祭りが、スポーツフェスティバルやファミリーフェスティバルへと変貌していきました。

自分の仕事の内容も多岐に渡るようになります。もともと機材を扱う施工中心の会社で、テント設営からアミューズメント機材、展示ブース製作、看板製作などを行っていましたが、この頃から音響・照明・映像関係のオペレーションや運営関連の仕事が増えていきます。がむしゃらに何でもやってやろうと突き進んできた結果が自分を見失うようなことになります。テント屋さん、音響さん、照明さん、映像さん、時には看板屋さんと行く先々で呼び名が変わる自分の職業・・・・

そんな時、たまたまイベント業務管理者の資格試験があることを知り挑戦してみることに。愛知国体も終わり、ホッとしていた時期でしたので落ち着いて取り組むことができたのを覚えています。(思い出せば、かなり暇で会社的にはとても大変な時期でしたが・・・)イベントの懐の広さを知り、イベントを体系的に勉強できたことが今の自分の糧になっていると感じています。

若い頃こんなことがありました。橋の開通式典の運営をしていた時のことです。リハーサルも終わり、さあ本番が始まるという段になって、さっきまで何事も無く動いていたジェネレーターが故障して止まってしまいました。何をしてもウンともスンとも動きません。冷や汗をダラダラかきながら「どうすればいいんだ!」と天を仰いでいたその時、ふっと見ると前方から小さな発電機を積んだトラックが走ってくるではありませんか。
 
とっさに走り出し、両手を振り回し『止まってくださーい!!』と声を限りに叫びながら、立ちはだかるようにして停車してもらいました。切羽詰った状況を早口で告げると、その荷台の発電機を快く貸してくださったのです。そして無事に式典を終えることができました。神様が舞い降りた瞬間です。イベントに携わっている人たちならきっと誰にでもこんな経験がひとつやふたつありますよね。

人事を尽くして天命を待つ。

限られた時間の中であらゆる手を尽くし最大限の効果を生み出そうとするイベント。

イベントを支える職能集団JEDIS。

縁あってJEDIS中部地域本部副本部長を拝命し早8年。精一杯力を尽くしてイベントを作り上げているイベント業界人の認知を高めるために

今後も微力ながらJEDISの発展に力を尽くしていきたいと考えています。