アートなパビリオン

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2005年1月1日
 
『アートなパビリオン』

 先月ハノーバー万博について少し触れたので、その続きを書こうと思う。
 ハノーバー万博は、70年の大阪、92年のセビリアに次ぐ20世紀最後の一般博覧会で、2000年の6月から10月まで、巨大メッセで有名なドイツ北部の都市ハノーバーで開かれた。
 環境をコンセプトに掲げたドイツらしい真面目な博覧会だったのだが、入場者数は目標4000万人の半分にも届かない1800万人にとどまり、1200億円もの赤字を出す結果に終わった。
 ぼくはこの十数年に開かれた国際博覧会をすべて観ているが、確かにハノーバー万博は精彩を欠いていた。
 コンセプトの立て方はあれでよかったのか、来場者の期待やモチベーションを読み違えていなかったか、会場計画の設計思想に誤りはなかったか、会場運営に問題はなかったかなど、検証されるべき課題が山積していると思った。とにかく考えさせられることの多い博覧会だった。
 なかでも一番気になったのは、『展示』の行方がはっきりと見通せなくなったことだ。ぼくはハノーバーで「展示のパワーが大きく落ちはじめている」と感じたのだが、それは「予算が削られたからだ」と片づけられる次元を超えていた。
 一言でいえば、つくり手が何をすればいいのかわからなくなっているのである。

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 いろいろ考えながら会場を巡っているうちに、ついに目を疑うようなパビリオンに遭遇した。オーストリア館だった。館内には展示らしい展示はなく、フカフカな絨毯が敷きつめられた倉庫のようなスペースだけがある。壁には「ゆっくりお休みください」と書いてあった。クッションとBGMが用意された心地よい空間に、足の踏み場もないほど大勢の観客がゴロゴロと寝ていた。
 このパビリオンは『情報訴求』をはじめから諦めている。モノも映像も生身の人間も、さらには空間さえも、およそメディアになりそうなものをすべて放棄して「何も言わない」ことを選んだ。ぼくの知る限り、こんなパビリオンはかつてない。パビリオンは「展示という手段を通じて自らのプレゼンスを示す」ためにあるという自明の常識がとうとう揺らぎはじめたとすれば、まさに歴史的な出来事だ。
 ほとんどすべてのパビリオンを観たのだが、これまでの「勝ち組」がこぞって悩んでいるのがよくわかった。博覧会展示はいま、間違いなく岐路に立たされている。
 だが同時に、新たな可能性を探る試みもはじまっている。ハノーバーにもその萌芽があった。

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 テーマ館のひとつ『Knowledge』では、体育館なみのスケールをもつ空間のなかに、ブラウン運動の如く自律走行する巨大な昆虫のようなロボットがウヨウヨしていた。それらは半透明のボディに色や言葉でメッセージを発しているのだが、他のロボットや人間と遭遇すると、その状況に反応して動きや表情を変える。意思と偶然の双方が状況を変えるので、次の状況を予測することは誰にもできない。まさにコミュニケーションの基本構造を体感できるパフォーマンスになっていた。
 同じくテーマ館の『Health Futures』では、これまた大空間のなかにマッサージチェアのようなものが大量に並んでいる。座るとリクライニングし、座面と背もたれがゆっくりと上下に揺れはじめる。床・壁・天井のすべてが映像と照明でコントロールされた美しい環境のなかで、幻想的な空間体験をする。胎内回帰をイメージしているようだ。日本を代表する建築家・伊藤豊雄の設計だった。
 スイスの建築家ペーター・ズンドーによるスイス館は、材木を交互に積み上げただけの無数の壁と、それらがつくり出す狭い通路しかない。来館者はその迷路を歩くだけだ。歩くうちに、巡回するパフォーマーたちに突然遭遇する。彼らはさまざまなスイスの古楽器を奏でる。パフォーマー同士が偶然出会うことで、コラボレーションがはじまることもある。ただそれだけで、展示は一切ない。

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 この3つのパビリオンはとても面白かった。新しいとも思った。
 いずれも従来の『展示』の概念からは完全に外れている。どちらかといえばアートに近く、文字通りインタラクティブだ。なにより何にも似ていないオリジナリティがあった。
 ところが、面白がるぼくの脇を、多くの人たちが素通りしていく。え、どうして? と思うが仕方がない。とんがったものをつくった代償と考えるしかない。もとよりアートとは「観たい人だけ観ればいい」ものなのだ。
 ぼくはいま、迷いはじめた展示を救出するのはアートなのかもしれない、と考えている。だが忘れてはならないのは、展示が相手にするターゲットは「観たい人」ではなくて、クライアントが「見せたい人」だという単純な事実だ。
 どうすればこの折り合いをつけることができるのか? ぼくにとっていま最も関心のあるテーマの一つである。

(月刊『Event & Convention』2004年7月号より転載)