葬儀に代わるもの

■執筆者 平野暁臣
 
■執筆日時 2002年4月1日
 
どんな仕事でも同じだと思うが、ときに思いがけない依頼が舞い込むことがある。僕の場合、そのひとつに葬儀があった。
 正確には葬儀ではなく“葬儀に代わるもの”で、今から5年前、場所は青山の草月会館、送る相手はあの岡本太郎、という仕事だった。
 クライアント(喪主)から要請された条件はただ一つ。「葬式ではない送り方を提案してほしい」というものだ。生前岡本本人が、お定まりの葬式を「オレはあんな偽善は嫌いだ」と言っていたからだった。
 
 1ヶ月後の96年2月26日、岡本の85回目の誕生日を選んで、常識的な葬儀の作法を一切無視した『泣きたくても泣けない』葬儀が開幕?した。「空間全体に岡本太郎の気配が漂い、岡本の空気が来場者を包む」とのコンセプトでつくられた空間で、参列者はみな笑顔で岡本との対話を楽しんだ。
 原色の床、作品でコラージュされた壁、ランダムに配された彫刻や家具、岡本の表情を積層させたグラフィック、岡本の姿を映し出すモニター、岡本のイメージを空間全体に投射するプロジェクター、部屋中に響く岡本の声………。すべては全身で岡本太郎を感じるためのしつらえだ。
 当日の夜、ニュースキャスターの筑紫哲也氏が番組の中で、このプロジェクトを「祝葬」と名付けてくれた。この言葉が、現場の空気をなにより伝えてくれている。
 たった一日だけのプロジェクトだったが、「これまでの常識を覆した」と話題になり、多くの方から随分とお褒めの言葉をいただいた。名前を聞けば誰でも知っている有名な方に、自分のときにもよろしく頼む、と言われたりもした。
 だが、褒められれば褒められるほど、なぜか違和感を感じた。なぜなら、何か特別なことをした、という実感が僕には全くなかったからだ。いつも通りの手順と技術で、ごく普通に「イベント」をつくったまでなのだ。
 
 たとえ規模は小さくとも、イベントには単独の事業として必要な要件がすべて包含されている。理念を掲げ、会場をつくり、演出と運営で来場者を迎える。それを支えるのはさまざまな技術をもった多くのプロフェッショナルたちだ。
 このプロジェクトでも、当然ながら僕は必要な技術者を集めた。映像ディレクター、照明デザイナー、システムエンジニア、デコレーター、運営ディレクター………、いつもと同じで、何も特別なことはない。
 しかし考えてみれば、これだけの職能をコーディネートできる葬儀社などおそらくないはずだ。あれだけの空間をわずか一晩で設営することもできないだろう。つまり、イベントに携わる者にとっては何でもない日常的なことであっても、葬儀会社にとっては想像を絶することなのだ。
 そして何より、葬儀社には『新しい葬儀のあり方』を提案しなければならない理由がない。おそらく彼らの関心は、定型的なフォームの洗練と合理化であって、フォームそのものの破壊や再構築ではない。
 同じ集客のプログラムではあっても、葬儀とイベントでは目指す方向がおよそ正反対だ。前者が形式のスムーズな消化を考えるのに対して、後者はいつも「新しい何か」を発生させようともがく。
 
 イベントを生業とする者は誰でも、「これまでにない新しいスタイルを生み出したい」「新たなクライアント層を開拓したい」と考えている。だが、その視野にあるのはあくまで「イベント」であって、基本的には日ごろ相手にしている領域の範疇を超えることはない。
 このときの経験で、僕はイベンターには新たな可能性があることを確信した。それは、イベンターの「気質と発想」「ネットワークとノウハウ」をもって他の分野に臨めば、たとえその分野がすでに成熟して見えようとも、まったく新しいビジネスを展開できるかもしれない、ということだ。流行の言葉でいえば、新しいビジネスモデルだ。しかもイベントに固有の特質を活かせば活かすほどインパクトは大きく、オリジナリティを発揮できる可能性が高いのだ。
 「本籍はイベント」という事業家が、まったく違う分野で活躍する日もそう遠くはないだろう。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2001.8月号より転載)