リレートーク

『モー娘。』に学べ

カテゴリー: リレートーク

■執筆者 平野暁臣
■執筆日時 2003年3月1日
 
『モー娘。』が登場したての頃、不覚にもぼくは、一発屋の典型だと高を括っていた。せいぜい"もって半年"だろうと思った。なにしろ、メンバーはどこにでも居るごく普通の女の子たちだったし、『モーニング娘。』などというフザケた名前を見ても、長いレンジで考えられた「長期戦略商品」とは到底思えなかったからだ。要するにキワモノの一種であって、売り出す側もはじめからそのつもりに違いない、とナメていた。
 だがその後、ぼくの予想とは裏腹に、彼女たちの人気は衰えるどころかウナギ昇りとなった。強力な"ブランドイメージ"が日を追うごとに強化され、次々と自己増殖を続けながらひとつの"ファミリー"を形成するまでに成長を遂げた。ぼくの見立ては完全に的外れだったというほかはない。

 『モー娘。』は明らかにこれまでのアイドルとは違う。従来のアイドルが、常人には手の届かない天性の容姿やきらめきという「"個"の存在感」を基盤としているのに対して、『モー娘。』は個人ではなく、あくまで「ブランド」に商品価値を置く。
 あえてどこにでも居そうな女の子を集めたのも、突出した個性を排除するためだと考えれば筋が通る。個人の"顔"に頼るだけではいずれ飽きられることが避けられないが、ブランドなら「新製品の発表」や「リニューアル」で顧客の関心をつなぎ止めることができるからだ。そして実際、『モー娘。』は新製品の開発とリニューアルを絶え間なく繰り返している。
 プッチモニ、タンポポ、ミニモニ、あか組4、青色7、三人祭………etc. 。『モー娘。』を小グループに分解・再編成した"ユニット"を続々と増殖させることで、『モー娘。』ブランドはバリエーション豊かな「商品群」を揃えていく。母体である『モー娘。』自身も、メンバーが"卒業"したり補充されたりしながら定期的なリニューアルを忘れない。
 いつも新しい貌を見せてくれるから、「顧客」はいつまでも飽きずに見ていられる。こうして『モー娘。』と観客との関係は、常に新鮮な状態が維持されるのである。
 『モー娘。』の成功は,タレントの個性などという不安定な要素には依存せず、人気を安定継続させる新しいシステムを新開発したリターンであると考えるべきなのだ。だから『モー娘。』は、はじめから一発屋などではなかった。
 
 彼らの手法で際立っているのは、なんといっても、新陳代謝を繰り返す「パッケージング」の妙だ。次々に新しい編成コンセプトを生み出し、その度に組み合わせを変えた新たなユニットを送り出す。"素材"としてのメンバーを絶えず組み替えることで、新鮮なイメージを持続する。「パッケージの継続的な刷新と展開」というアイデアが、『モー娘。』の消耗を防いでいることは明らかだ。
 ではイベントはどうか? 博覧会・見本市・展示会・国際会議・ビジネスセミナー・シンポジウム・コンテスト・コンサート・音楽祭・映画祭・スポーツ競技会………etc.
 日ごろぼくたちが口にするイベントの類型が、つまりはパッケージなのだが、実のところ、これまでイベンターはパッケージそのものの変革や開発にはあまり熱心ではなかった。というより、むしろ目指していたのはパッケージの安定と制度化だった。
 前にも書いたが、大阪万博以降のイベント近代化のプロセスのなかで、イベンターは「リスクの軽減」を最優先の課題と考え、イベントのシステム化とマニュアル化を推し進めた。この結果イベントの多くが様式化され、狙い通りリスクの低減とマーケットの拡大を急速に達成してきた。つまりイベントが「生産」の対象になった。誰でも安心してイベントという手法を使えるようになったのはそのおかげだ。
 しかし、先人たちが遺してくれた「システム」や「様式」という遺産も、すでに"残高"は残りわずかだ。マンネリを指摘されるパッケージが少なくないし、いわゆる制度疲労が顕在化しているパッケージもある。新たなパッケージの開拓が不可避であることに疑いの余地はない。

パッケージを絶え間なく更新することで、『モー娘。』は"消費"から逃れることに成功した。人気の秘密は、「つんくの手によるヒットチューンの供給」だけではない。
 けれども、『モー娘。』とは違って、イベントの「パッケージ組み替え」には猛烈なエネルギーが要るし、リスクも大きい。もとより簡単にできる話ではない。少なくとも、安定した評価を手放す覚悟がなければなかなか前には進まない。
 だが、ほかに選択肢はない。イベンターの正念場はこれからだ。

(月刊「EVENT & CONVENTION」2002.8月号より転載)