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■執筆者 東北地域本部長 森 絵留 ■執筆日時 2010年2月25日 ■自宅の壁には、太陽の塔のレリーフが飾ってあります。 EXPO‘70・・・1970年の万国博覧会のお土産です。
世紀の祭典。 「人類の進歩と調和」 なんて斬新な力強い標語!
高校の夏休み、日本一知名度の低い栃木県宇都宮から、私は何度も、万博バスツアーにもぐりこみました。
万博は、高校生の想像を遥かに超えていました。 そこは、文字通り夢の世界。空の青も、陽の光も、何もかもが、すっかり希望に満ちているようでした。 アポロ11号が月から持ち帰ったという、アメリカパビリオンの「月の石」を見ようと、一日中でも並ぶ覚悟の人々。 その長蛇の列を横目に、聞いたことのない小さな国の小さなパビリオンに入ると、そこには、初めて知る、世界の果ての暮らしや物語もありました。 お土産屋さんには、きらきらと虹色に輝く、ガラスのペンダント。ソビエト連邦のマトリョ―シカを、最初に見たのも オイルサーディンを食べたのも、万博です。
「ばんぱく」は、地方都市の少女にとって、忘れえぬ思い出です。
■万博から5年後の夏。 俳優になった私は、旅公演で、吹田市の「万国博ホール」に行くことになりました。万博当時は、一流の芸能人のコンサートで賑わったホールです。 静岡、豊橋、名古屋、と大盛況に終え、大阪毎日ホールで8千人動員した翌日、わくわくしながら、いざエキスポランドへ。すると・・・・・!!!
あの、きらきら輝いていた街は、まるで魔法が解けたように消え去って、人影もありません。憧れだった万国博ホールは、わずか数年で、楽屋の壁紙は剥がれ落ち、そこかしこ、砂だらけ。手入れが行き届かないのか、舞台も、客席までもが埃っぽい。 冷房がきかないのに辟易して楽屋の窓を開けると、原っぱから、風といっしょに砂埃 おまけに、会場までのアクセスが悪いのか、観客もまばら。
広々としちゃった荒野の中に、太陽の塔だけが、ぼつん。
「万博は終わった」という寂寥感以上に、信じていたのに裏切られたような、なんだか説明のつかないショック・・・・
■EXPO‘70 あれから40年。 今でも、茫洋なイベントの現場にいるとき、大阪万博が、頭のどこかにあります。 それは、理屈を超えて、私の心の中に巣くって、剥がれなくなり・・・・分析できぬまま、まるでトラウマのようです。
イベントを成功させたい意思の中に、採算と、話題性と、先見性と、ホスピタリティーと、きれいごとと・・・・・・だけど、「どうしても外せないただひとつのこだわり」を抽出するのに、なんとなくいつも、大阪万博がろ紙になっているように思います。
この観客の中に、あの頃の私が、きっといるのだと、いつも感じつつ。
■ 昨年来、地域に飛び出した「移動運営幹事会」。 関西、中国四国と開催し、みなさん、とうとう来月は、東北ですっ!
会場は、福島県いわき市の、映画「フラガール」で、すっかり有名になった、「スパリゾートハワイアンズ」(旧、常磐ハワイアンセンター)です。
あ、「フラガール」、ご覧になりました? 映画のモデルになった、いわき弁の少女は、還暦を過ぎた今も、現役のハワイアンダンサー。現在の、ポリネシアン・ショウのグレードの高さには、ちょっと驚きます! 映画の中で、真冬に植栽し、夜通し石油ストーブで暖めていたヤシの並木は、今も青々と健在。
石炭を掘っていたら、温泉が湧いたので、この熱を利用して、常磐炭鉱を常夏のハワイにしてしまったのです。 と、同時に、炭鉱の町から、「イベント交流都市いわき」へ変貌を遂げ、今日まで40年以上も、「イベント」を市の重要産業にしてきました。
いわき市議会も、市役所も、夏の標準服はアロハシャツ。議会の前にはフラダンス。 幼稚園でも、フラダンスは必須科目。 挙句の果てに、温泉に来ただけのよその人にまで、フラダンスを仕込んでしまう、フラダンスつき温泉博覧会「フラオンパク」まで!
実際のハワイと公式に交流を持つわけでもなく、ここまで自由に、ハワイを徹底しちゃった戦略を、本家本元のハワイの方々は、どう思うのでしょう・・・???
最強のいわき市民!! なにはともあれ、みなさん、是非来月は、勝ち組のいわきへ!
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